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2016年6月

朝比奈川川越輦台

江戸時代、川を渡るために川越人足が人を乗せて担ぐために使用したものを「輦台(れんだい)」と言います。

「箱根八里は 馬でもこすが こすにこされぬ 大井川」

http://www.shimada-ta.jp/tourist/tourist_detail.php?id=11

有名なところでは、大井川の川越の際に輦台は使用されました。

江戸時代、大井川などの大きな河川には、橋がかけられておらず、また渡船も禁止されていました。地方の大名が謀反を起こした際に、江戸に上りにくくするためです。

川を渡るためには川越人足の手を借りることとなりました。

江戸時代というのは、徳川幕府を倒す勢力をおさえるためにインフラ整備を基本的にストップした時代でした。国内の流通をはかるために、交通の利便性をたかめることは国内の経済の発展につながるはずです。しかし、この時代は武家政権であるがゆえに、まずは攻め込まれないということを第一優先としていましたし、ゆえに交通はある程度の緩やかさが必要でした。また武家政権であるがゆえに、商業行為がさげすまれた時代だったのです。

大きな河川の場合は、より渡りにくくするために橋は架けられていませんでしたが、それ以外の小河川には橋が架けられていました。

 

横内の朝比奈川には、長さ32間、幅3間の板橋が架けられていました。

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横内朝比奈川をわたるための輦台。

もとは朝比奈川横内橋のたもとの見宮家に2台備えられていましたが、現在は慈眼寺の本堂向かって左側の軒下1台にあります。

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軒下とほぼ同化していています。

横内橋はその昔、木の橋であったため、年月が経てば老朽化してきます。また、大水の際には流されることもありました。

記録では嘉永元(1848)年6月と嘉永5(1853)年に洪水があり横内橋が破損して通れなくなったとあります。その際には岡部宿、および横内村から川越人足を出して東海道の通行人の川越を手伝ったということです。

橋が破損すると補修するのに一か月程度かかり、その間、人足による川越が行われました。川越人足は岡部宿、および横内村の村民が負担しました。水位が低ければ通常の通行人は自ら歩いて渡ることができますが、水量が多いときや寒い時期は川越人足にたよることとなりました。また、身分の高い方はこの輦台を使って渡りました。

横内橋は記録に残っているだけでも5年のうちに2回破損しています。またその記録に「先格の通り」という記述があります。現在でも大水の際には急流となります。この横内橋は「しょっちゅう」破損していたことが推測されます。

大水によって横内橋が破損するたびにこの「輦台」が活躍したのでした。

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